心理療法個人授業
何となくわかりそうで、わかっていない心の研究について、生徒(南伸坊)生徒が先生(河合隼雄)に質問を投げかけて、それに対しての先生の説明があり、生徒が感じた事を記し、最後に先生がレポートを読んで一言コメントという授業の流れ。
心理療法の流れは大きく分けて医学と教育という2つのアプローチがある。
心の問題は医学の病気ではないという当時の常識に対して、医学でアプローチした事によって世に認知させた。
興味深いのはフロイトはとにかく治そうと研究を重ねる。一方シャルコーは治す事に興味なし。あくまでも現象の解明の研究として催眠術をうまく使う。
そこだけ聞くとフロイトの方に好感が持てるが、アカデミックでないと医学からは認められない。治す事に関心を持つと人間関係が成り立つ。すると客観科学でなくなってパターン化しにくい。
アカデミズムは外的事実がしっかりしていないとダメという事。
しかしナチスに追われアメリカにユダヤ人が流れる事で変化が起きる。
アメリカではフロイトを受け入れ、精神分析はアメリカの大学では心理学に受け入れられた。
そこでカウンセリングなんかとミックスされて独自の発展をしていく。
戦争帰還者のケアにより仕事として需要が高まる。すると精神分析家集団は専門性を高め、エリート集団となっていく。診察料も上がる。
するとどんな事が起こるかというと精神分析を受けるという事がステータスになってきた。なんのこっちゃ。
そんな時、カールロジャースという人がノンデイレクティブカウンセリングで精神分析はいらない。指示を出さないのが一番という本を出す。ただ聞いているだけで治せる。
おい、営業妨害やないかと精神分析家は当時青ざめたんでしょうか?
まあその後は、アドラー(個人心理学)、ユング(分析心理学)、アメリカで盛んになる行動療法、心理療法などがいろいろなアプローチをしていく。
要は何が一番良い方法というのはよくわからないという事がわかった。
ある事例が当てはまったかと思うと、別の人には今度は当てはまらない。
全く人間とは複雑という読めないものである。経済学なんかととても似ているような気がする。同じ人間が営み、これが集団になると余計ややこしいときたもんで。
とにかく人は人の思惑通り、動かないものである。
心理療法はクライアントが自分で解決するためのサポート役で、その人に合わせてカウンセリングしてみたり、箱庭作らせてみたり、時には薬をあげて緩和させたりする。
「不安神経症の人はその不安がどこから来るのかわからない事に悩む。その不安を自分の物語の中に入れて、納得がいくように語る事ができない。色々話し合って調べていくと自分の過去や現在の状況、意識していなかった心の働きなど調べているうちに、発見があり、新しい視点が獲得される。その上、全体を見渡す事ができ、人生を物語る事が可能になる。その時には症状が消え去っている」
人間っておもしろい。もっと深く知ってみたいと思わせてもらえる本でした。